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中型の哺乳類の解剖をするときがある。

人という生物の生活圏の近くで暮らす生き物は時として人の暮らしとリンクしてくる。そのリンクの仕方が人間の生活に被害を及ぼすと考えられたとき「駆除」という処置により捕獲され、その固体の生命は終わりを迎える。その固体を解剖するとき、その固体は沢山の情報を伝えてくれる。その中の一つに、固体の損傷が、その固体がどのような様子で最後を迎えたかを伝えてくれていることがある。言い換えるならば、その様子が駆除した人間が人以外の生物の生命をどのように見ているかが伝わってくる。相手を生命に対し敬意をもち、丁寧に扱われていることがわかる場合、解剖していても、冷静さを保ちながらその固体と向き合うことができる。その逆に、残酷に雑に扱われた形跡がある場合、どこか憤りを感じながら、悲しみを感じながら、申し訳なさをいつも以上に持ちながら解剖を進めることになる。その憤り、悲しみ、申し訳なさは時に怒りや疑問に変わるときもある。人という生物は、他の生物より上位にいるのだろうか?私達は、最強なんだろうか?自分に害を加えると判断したならば、どのような手段をとってもいいのだろうか?私達、は・・・。大切なものを、どこかにおいてきてしまってはいないだろうか?
私達は、生命を繋いでいくために他の生物の生命をもらわなければ生きてはいけない。そのことを上下関係と勘違いしてはいないだろうか?

他の生き物の死が私達に伝えてくれているメッセージを、私達は受け止めているだろうか?

​生物の生命を通して見えてくるもの。