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はじめに
平成29年12月10日東京国立博物館での森里海会議2017で森代表を務めさせていただいた池田雅子です。森里海会議でとても驚いたことがありました。それは「こんなに大勢の人が森のことを知りたいと思っていたのか!」ということでした。そこで「あの時お声をかけてくださった方々が森のどんなことを知りたいのか?」と自分なりに考えなおしてみると・・・自然科学、セラピー、芸術、教育など多岐に渡っていたな。と浮かんできました。森についてあの時お話し切れなかったことや、ご質問にお答えできなかったこと、私の中でも未解決なこと、訂正したほうがいいな!と思うことをお伝えする方法の一つとして通信をだしてみようと思いました。とはいえどれほどのものがどのように書けるか想像がつきません。内容も、森の生態学的なことから心のつながり、信仰やARTなどあちこちに飛ぶかもしれません・・・いや、きっと飛ぶと思いますがよろしくお付き合いをお願いいたします。

私と森との出会い
このことについていつも話の冒頭に入れさせてもらっています。その理由は、「私が経験したことが少しでも誰かの役にたてばいいな」という思いからです。
私は、大学では日本文学を学び卒業後は光学機器メーカーに勤務、寿退社、子供を二人出産し家事と育児の毎日でした。それがある日突然の眩暈に倒れ、色々な検査の結果、慢性疲労症候群という診断がくだされ闘病生活がはじまりました。生まれ育った場所は長野県佐久市の山間で自然に囲まれて過ごしていましたが特に自然大好きでもなく結婚後も夫は渓流釣りが趣味。倒れる前は私も一緒に釣りをするぐらいという森活で、現在のような森大好きではありませんでした。けれど罹患してからは症状の一つとして人中にはいると疲労しやすく体調が崩れるということがあり、私が行ける場所が森に限られてしまったということが森に出かけるようになった理由です。
入退院を繰り返し、休日は夫が子供達と私を森に連れて行ってくれる。そんなことを3年ほど繰り返しているうちに私の中で「目の前に繰り広げられているこの森の光景を伝えたい」ということがふっと浮かんできました。始めは文章で伝えようとしたのですが書くと疲労してしまう。でも絵を描くことは苦手だしと悩んでいるときに友人が「色を塗ってみたら」と一言アドバイスをくれました。「それなら出来るかも」と色鉛筆を使い始め、そしてパステルという画材と出会い創作活動へとつながっていきました。パステルで描き始めてから1年、病状は回復し、当初医師からは「一生薬とお付き合いしてください」と言われていたものが「もう通院は必要ありません」と言われるまでになりました。倒れてから4年が過ぎていました。
その体験から「森へ行くこと」「森で感じたことを表現すること」「そしてそれを受け止めてくれる人がいること」この3つが揃ったならば私のような症状で苦しんでいる人を助けることが出来るんじゃないか!と、非常に短絡的な発想が生まれ「森を使うんだから森のことを知らなければならない(森林生態学でした)」「感じたことを表現し受け止めるのだから心理学を学ばなければならない(芸術療法でした)」「自分の感じていることを表現し続けたいから描き続ける(パステル画でした)」と3つ同時に始めることとなったのです。
肉体的、精神的にこれ以上辛い状態はないのではないか?ということを経験し、その時に出会ったものが人生を大きく変えることになったり、一生のテーマと出会うことになったという方は大勢いらっしゃると思います。私にとってはそれが「森」でした。
次回は「森の形態」についてお伝えします。日本の国土の約7割を森林が占めています。その森林を「植林」「里山」「自然林」にわけてご説明します。

平成30年1月 森通信No.1             森通信No.1 森との出合い
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