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​森で繰り広げられる生命の営みをみていると、実にシンプルだと思う。生まれること、生きようとすること、遺伝子を繋ごうとすること、そして死んでいくこと。が、繰り返されている。生き物に関わることによって、自分もまた例外でないことを知っていく。自分も生まれ、生きようとし、遺伝子を繋ぎ、いずれ死んでいく。特に生まれたならば、必ず死を迎えることは逃れることが出来ないことを知っている。そして歳を重ね、様々な死の形を見るうちに思うようになった。「死というものは最高の平等であり、最高の不平等だ」と。繰り返しになるが、死ぬことは誰にも与えられている、そして死に方は誰にも選べない。こんな平等なことはない。

死に方を選べないという平等の中に不平等がある。祖母は103歳で他界した。父は85歳だった。二人とも自然な死であった。眠るように逝くことが出来た。家族も別れを告げることを許される時間を持てた。そのような形もあれば不慮の事故のように、朝出かけるときは元気だったのに・・・。というような形もある。家族は納得しようがないだろう。どんなに覚悟をしていても別れには胸が痛むのに、それが突然であったのならば、旅立った当事者も家族も納得できないだろう。「どうしてこんな形にならなければならないの!」と、毎日毎日答えのない答えを探して思い悩み、悲しみ、苦しむだろう。こんな不平等はない!

人は、自分では選べない平等と不平等を内在させながら毎日を過ごしていく。

最高の平等と不平等